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成田空港で2ヶ月に収容されたロヒンギャ難民が語る

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あるロヒンギャ難民の一人が、ミャンマーから脱出して日本に移住してから約20年後には、難民の状況を改善するための努力を続いている。

 

埼玉県でリサイクル事業を営んでいるZaw Min Htut氏(45歳)は、ロヒンギャアドボカシーネットワーク(RANJ)の執行取締役として迫害された少数派の権利の為に闘っている。

 

12月初旬現在、バングラデシュのコックス・バザールには約86万人のロヒンギャ難民が逃げ込んだ。このうち、825日以降、ミャンマーのラカイン州で暴力が増えているため、人道問題調整局によると、646000人が到着した。

 

 

www.anamiletameru.jp

 

 

ザウ・ミン・ハット(Zaw Min Htut)は、国会議員、外務省、法務省、その他の民主的政府に働きかけている。

 

彼はヤンゴン大学で勉強していた間、軍事政権に対する抗議に参加し、彼の安全を恐れて1998年に日本に逃げた。彼はRohingyaの身元を隠してパスポートを取得した、と彼は言った。

 

彼は成田空港の入国管理局に拘束されていたが、すでに日本にいた叔父は1992年ごろから亡命希望者と働いていた渡邊将吾弁護士に連絡を取り、渡邊氏の助けを借りて難民認定を申請した。

 

Zaw Min Htutは空港で約2ヶ月間拘束され、手錠で茨城県の牛久収容所に移動された。彼は入国審査官のそばにいて、泣いていると言った。

 

そこに日本にいる間に犯行を犯した人が多く、大部分が追放を待っていた。彼も喫煙を始めた。他のほとんどの人がそうしたように、ストレスと混乱がいっぱい。

 

Zaw Min Htut氏の難民認定申請は2回も拒否された。弁護士は、事件を裁判所に提出し、裁判所は約4年間戦ったという。

 

裁判所との協議を通じて、弁護士は、日本のロヒンギャの象徴的裁判として彼の事件を指名することに決めた。彼は渡辺氏によれば、初めてロヒンギャが日本政府に難民として認められた。

 

 

www.anamiletameru.jp

 

 

渡辺氏は現在、200~250人のロヒンギャが日本に住んでおり、難民認定や滞在許可を得ていない約16~20人を支援していると述べた。

 

日本の難民認定制度の改善を求めると同時に、この国で働いて恩恵を受けるためには、滞在を合法化することが不可欠である、と彼は述べた。

 

2016年には10,901人が難民認定を申請し、前年から3,315人増加し、うち14%が以前に申請した。同年、法務省によると、ただ28名が難民として認められ、97名が人道上の理由で滞在する許可を与えられた為、難民として認定されるのは大変難しいことだと分かる。

 

http://www.amnesty.or.jp/landing/refugee/

 

難民などの地位に関する条約に沿って、難民とは、迫害、戦争、暴力のために自分の国を逃れた者であり、迫害の恐れが十分にある人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会的集団の構成員である。ロヒンギャの難民は十分にこの条件に達成しているはず。